金沢市野町公民館
◇野町について◇
野町公民館がある「旧野町校下」について紹介します。
金沢市は犀川・浅野川の二つの河川によって大きく南部・中部・北部に三分されるが、野町の地域は
その南部に位置する。地域の境界は一部、犀川河川敷までも含むが、概ね犀川中流の左岸段丘崖をも
って境界とし、その以南に広がる泉の扇状地の先端部分に位置する。東西方向と南方の三面の境界は、
古くは石川郡内と接し、地域の中央部を旧・北陸街道である一級国道157号線が南北に貫通して、
地域を東西に大きく二分するような形となっている。
また、この国道157号線の東側には、犀川大橋南詰めから分岐した、旧・鶴来街道の市道準幹線5
10号線が並行して走る。さらに旧・野田往還が改良された市中屈指の重要幹線、野田・専光寺線が
これら二つの道路と地域の北寄りの野町広小路で交差し、東西に一直線で一級国道8号線バイパス及
び、北陸高速自動車道の金沢西インターチェンジへと繋がっている。地域の東西最大幅は約1.6キ
ロメートル、南北約1.1キロメートルで、総面積は僅か0.83平方キロメートルであるが、古く
から金沢城下の交通の要衝として栄え、今もその機能を果たしている。
地形は加賀藩主・前田利家の墓所があることで知られる東方の野田山(標高176m)から、西方に
向かって穏やかな傾斜をたどり、地域の東端の標高は約44乃至45m程であるが、西端に至っては
約15m乃至16mと、30m近い落差がある。
段丘崖上は犀川の清流を眼下に、遠く医王の山並みを望み、緑多い金沢市中を一望に収めるところか
ら、その景観は風致地区として指定を受けている。地域のほぼ中央に位置する金沢市立野町小学校は
文豪・室生犀星や、小説『地上』の著者・島田清次郎の出身校として知られているが、同校の前庭に
建つ標柱には、東経136度39分4秒、北緯36度32分59秒、海抜30mと表示されている。
(野町公民館『野町公民館五十年の軌跡』2002年(平成14年)6月1日発行)
(第一部 序章 第一章 地勢と環境と歴史と ①地域の地勢と環境(p.3~p.4)から引用)
なお、平成26年4月に「金沢市立野町小学校」と「金沢市立弥生小学校」が合併し現在は
「金沢市立泉小学校」となっています。よって、冒頭「旧野町校下」と表記しました。
◇野町の歴史◇
野町の歴史について紹介します。
佐久間盛政が加賀の一向一揆を平定した後、本願寺の支坊であった尾山御坊を居城とし尾山城と称し
たが、天正11年(1583)賊が嶽の戦いで敗死すると、前田利家は加賀国の石川・河北二郡を加
封されて、能登の小丸山城から尾山城に入城した。
文禄元年(1592)利家の子・利長(二代藩主)は父の命を受けて尾山城を改築し、地名も金沢と
改称したのである。
文禄3年(1594)に犀川・浅野川の両大橋が架け替えられてからは、犀川以南の北陸街道沿いの
街並みは、急速に発展を遂げていった。しかし、藩政初期の頃はこの町並みから東側では灌漑の便が
悪く、未だ一面の小松原で、民家も耕地もなく、見渡す限りの原野であった。このことは微妙公(み
みょうこう、三代藩主・利常)御夜話集や後藤家文書、或いは三壺記(みつぼき)などによって窺い
知ることができる。また、処々に清冽な泉が湧き出ていたところから広く泉野と呼ばれ、これを略し
て単に「野」と呼んだという。野町という地名の由来も、このことに起因すると考えられるのである。
元和5年(1615)に一国一城制が敷かれると、それまで城下に散在していた寺院を、泉野と卯辰
山麓の二か所に集め、周辺には高禄の藩士の下屋敷や与力の屋敷、無数の足軽組地などが配置され、
金沢城の防衛拠点が構築された。それ以来、寺院の集合が図られた周辺を広く、泉野寺町と呼ぶよう
になった。
現在の野町の地域は、この寺院群の殆どを包含しており、明治初年の神仏分離令によって、廃寺や
合併、或いは移転等が相次ぎ、寺院群は減少したものの、それでも今日、地域内に現存する寺院は
実に51か寺を数える。そうした古い町並みのたたずまいは、金沢市の伝統環境保存条例(景観条
例に変更)によって、地域面積の半分以上が指定区域となっている。
明暦元年(1655)から、当時石川郡押野村の十村役(とむらやく、他藩の大庄屋に相当)であ
った後藤太兵衛(当館三代館長・後藤為次氏のご先祖)が、私財を以って長く不毛の地とされてい
た泉野の開墾に当たり、続いて犀川上流から用水を引くと、やがて各地に集落ができ、ついにその
数は八カ村にも及んだので、これを泉野八カ村、略して「野八カ」と呼んだのである。
元禄年間(1688~1704)の頃には、北陸街道沿いの町(旧・野町1丁目から6丁目)は本
町の資格が与えられ、金沢南部の中核的存在として、長く地域の発展に貢献してきたのである。
(野町公民館『野町公民館五十年の軌跡』2002年(平成14年)6月1日発行)
(第一部 序章 第一章 地勢と環境と歴史と ②地域の歴史概要(p.4~p.5)から引用)